
ワンス・アポン…
むかしむかし…初めて山陽オートに行ったのは1984年、進藤敏彦がVの第16回日本選手権。大の大人数人に、小の大人のオレとオレの同級生が混じった大所帯。東京駅から寝台車。小学生時の遠足の前夜のように、ワクワクしてなかなか眠れなかった。車券を買いに行くというより、試合を観戦するような気持ちの方が高かった。もちろん!オレは川口所属選手の応援も兼ねている。
見るもの触れるものすべてが新鮮。埴生(はぶ)駅から、そのままレース場へ続く通路がある。当時、山陽オートには片道電車賃(上限あり)をレース場が負担してくれるサービスがあり、それを利用した。それと売り場のお姉さんたちが、制服のまま通勤してるのには驚いた。
準決、優勝戦の2日間でしたが、夜遊びもせず、まじめに過ごしました。帰り、東京駅に着くと同級生が映画でも観ようと言ったので、当時話題作の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を観ました。
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