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分岐点

2014年4月9日 11時11分更新


一九八五年の西武園三十六周年記念前節(当時の記念競輪は三日制で各場二節あった)初日、選手紹介時の滝澤正光に野次が飛んだ。その内容のほとんどが直前の立川ダービー決勝の走りに対する不満だった。清嶋彰一、山口健二、尾崎雅彦の地元三人に遠慮気味と書けば反論もあろうが、当時厳然と在った〈フラワー・ライン〉に縛られたような競走への怒りだった。俺はバック側の金網に顔を付けバンクの一団を見ていた。俺の三方から何本もの叱声が俯き加減の滝澤に刺さったのだ。
その開催の滝澤の強かったこと。
決勝戦は野次が声援に変わっていた。
一月後の宮杯で滝澤は二回目の特別競輪制覇、以後の活躍は誰もが知るところだろう。
〈滝澤時代〉への分岐点はあの西武園記念の野次なのだと書けば異論もあろうが、その場所に居合わせた幸運は俺のちいさな宝でもある。

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竹林記者プロフィール

 山松ゆうきち、阿佐田哲也、色川武大、ストーンズ、「青春の蹉跌」「アフリカの光」「嗚呼!おんなたち猥歌」内田裕也、テレキャスター、ボブ・ディラン、生田敬太郎、シオン、広島競輪場、鮎川誠